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【祖母井秀隆さんコラム「奥寺選手と夢のピッチに」】

これは、先週載っていたコラムです。
GW真っ只で、このコラムには目は通しがんですが^^
ちなみに、4月のコラムは、「けまり団」、祖母井さんが大学の2部のチームの監督をしてた頃の
ことが書かれていたので、祖母力に書いてあることと、内容が似てるな〜とアップしなかったんです。




 今から焼く40年前、日本人が欧州でプレーすることなど
考えられなかった時代。
高校生の私は、マンチェスターユナイテッド(イングランド)に、
自らペンを執って売り込みの手紙を書いたことがあります。

しばらくして、「送っていただいた写真だけでは判断しかねます。
ご了承ください」という断りの返事が届きました。
荒唐無稽な挑戦にサッカー部の監督や仲間からも大笑いされました。
 しかし、その10年後。
ブンデスリーガ(独リーグ)のスタジアムで、チームの一員として
ベンチに座る機会がめぐってきました。

1977年、日本人として初めて欧州でプレーすることになる奥寺康彦さん(横浜FC会長)が
1FCケルンに入団し。当時ケルン体育大学に留学していた私が通訳として、
チームに加わることになったからです。
選手としての夢はかないませんでしたが、
ピッチに出るときは、ジーンときました。

欧州でプレーする選手は珍しくなくまりましたが、ドイツで9シーズンも活躍した
奥寺さんの実績は、誰も超えていないのではないでしょうか。
日本ではスピード、両足で同じようにけることができる、
高いシュート力などが高く評価されていました。
ドイツではむしろ、「アジアのコンピューター」と呼ばれていたように、
チームの一員として戦う、戦況を把握してどこに注意しなければならないかなどの
判断が、高く評価されていたように思います。

ドイツには、奥さんと、奥さんのお母さんが来てサポートしていました。
奥さんはすごく明るく、江戸っ子のおばあちゃんもすごくエネルギッシュな方でした。
このような環境があったので、変なストレスも感じずに、
ゲームに集中できたのだと思います。
私もおいしい日本食などをごちそうになりました。
試合中には「奥寺は違う方向に走っているぞ。おまえ、違う風に訳してるんじゃないか」と、
当時のバイスバイラー監督に怒られたこともありました。
半年足らずの経験でしたが、最初の年にリーグとドイツ杯の2冠を達成し、
素晴らしい思い出になりました。

その後、市原(現・千葉)では、監督と育成部長として一緒に戦うなど
縁がありました。
いつも優しさを持ち、決して自慢などしない人間的に素晴らしい方です。
横浜FCの活躍をグルノーブルからお祈りしています

(YOMIURI)

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COMMENT

奥寺さんって、あんまり知らないんだけど、海外進出のパイオニアで、しっかり結果を出した方なんですね。
その頃のブンデスでプレーするのは、現在のプレミアリーグでプレーするのに等しいように思う。
その割に、国内では、それほど評価かされてるように思えないので残念。
それは祖母井さんにも共通するのですが。
要するに当時のローカルな日本サッカー界では、欧州に進出するような選手は、常識の枠をはみだした存在で、一匹狼として仲間外しになったのだろう。
日本では、奥寺さんも祖母井さんも、「出る杭は打たれる」だったのかも。

今や、類君のように10歳でスペインへ武者修業に出る時代になったことを思えば、今昔の感がします。

| potato | 2008/05/13 22:27 | URL | ≫ EDIT















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